川崎の実家の納屋に貼られていた一枚の護符。
描かれた「オイヌさま」の正体とは何か。
高度経済成長期に、小さな村から
住宅街へと変貌を遂げた神奈川川崎市宮前区土橋。
著者は「オイヌさま」の護符に導かれ、関東甲信の山々へ。
都会に今もひっそりと息づく山岳信仰の神秘の世界の扉が開かれます。 〜文庫紹介文より抜粋
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私も幼少期をすごした、川崎市宮前区には
果樹園が多く
たしかにこの護符を見たことがありました。
著者の小倉美惠子さんの探究心に導かれ、
関東をとりまく山々に受け継がれてきた
オイヌさま=オオカミ信仰が
身近にあったこと、その面白さに目から鱗を落としながら一気に読んでしまいました。
丹沢山塊〜奥武蔵〜奥秩父の
関東を抱くように包んでいる信仰の山々。
山々の近くにオオカミの頭骨が祀られていたり、大切に代々保管されていたことに
そんな文化がひっそりと眠っていたとはと驚かされます。
小倉さんの百姓の祖父母から、
オイヌさまを守ってきた関東各地の村の人々に
受け継がれていた端端の姿や、ことばに
打たれた小倉さんの文に
何度もハッとしました。
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〜思い出したのは祖父のことだ。
祖父はよく高台の畑に立ち、「お山の向こうには神様がいる」と言いながら遥か西方に青く連なる山々に向かってそのごつごつとした手を合わせてきた。〜
〜御岳山に登ると、まさに「武蔵国」が
一望できる。改めてこの山上で「首都圏」と
「武蔵国」のふたつの言葉を発してみた。
すると「首都圏」という言葉は明らかに
都心に向けて凝縮していくが、
「武蔵国」はむしろ山に向かって
柔らかに開けていく音がする。
戦後、私たちは東京に目を奪われて慌ただしく過ごしてきたが、
祖父母、そして武蔵国のお百姓は皆、
山に気持ちを向けて生きてきたのだ。〜
〜明治維新を経ても、農山村の庶民の暮らしは江戸時代とさほど変わらぬまま続いてきたと言える。
それが今、根こそぎ風土と乖離し始めているのは
何故か。日本列島の長い歴史において、百姓の姿がきえてゆくなどは、かつてなかったことである〜
〜どの時代のくらしも、現代の私たちの暮らしの
礎になっている。きっと、私たちの感覚の中にも、とてつもなく古い暮らしの中で培われたものが眠っているに違いない〜
〜人が自然に身をゆだね、互いの力をうまく引き出しあうところに思いがけない「はたらき」が
生まれてくる。これが仕事の本領なのだと気づかせてくれる。…「稼ぎ」は人間関係の中で成立するが、「仕事」は人のみではなし得ない。…
土地の自然と向き合い、神々を祀ってきた人々の言葉や姿には、未来を指し示す手がかりが宿されているはずだ。〜
〈全て本文から一部抜粋〉
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著者の小倉さんが、一枚の護符に
導かれて歩き続け、
文を綴っていったのは、
その土地に生きる人々に受け継がれてきた何か底知れぬ、力のような気がします。
オイヌさまに導かれて、、、。
馴染みの関東の山々から深く広がる、
知らなかった姿を垣間見ることのできる
ブオリ一押しの、一冊。
読んだあと、
きっと山を歩く目線が
変わるはずです。
◯新潮社発行
◯美品